河合哲司 不動産よろず相談所

ニュース報道と世間への違和感

ここ最近、テレビでニュースやネットニュースを見てても、世の中がギスギスしているなぁと感じてるのは僕だけでしょうか?

政治や芸能、経済すべての分野において世間は「倫理的にだめだ」とか「社会的に許されることではない」という論点で当事者を徹底追及する。確かに、悪いことをしているという事については報道するのは大事な事だと思う。しかし、社会から永久的に抹殺してやろうというような、悪意さえ感じさせる世論が多い。

もうここまで来ると正義ではない。
「イジメ」ですよ。しかも悪質な。

これは「勝ち組」「負け組」という区別や、「自分だけ損したくない」という心理に起因していると思っている。極端な話、世間の人は一人の人物が正義か悪かなんてどっちでもいいんです。

これだけ不況が長引くと人の心も荒んでくるのか、そうすることによってストレスを解消したいだけのような気がする。

もう年明けの大型スキャンダルにかき消されつつあるが「旭建材のデータ改ざん事件」にも同じことが言える。

「杭(くい)打ちデータ改ざん問題を受け、国土交通省は25日、旭化成建材(東京・千代田)が改ざんがあったと公表した360件のうち、303件で建物の安全性が確認されたと発表した。残る57件は工事記録の収集などに時間が掛かっており、引き続き確認を進める。」

この記事を見て、どう思いますか?
以前、このニュースを題材に記事を書いたが、どう収束させるのか僕自身、非常に興味があった。

データ改ざんをあれだけ騒ぎ立てておいて「安全性に問題がない」。こんなふざけた収束の仕方あるのか。と呆れてモノが言えないとはこのことだ。今、あの事件についてその後どうなったか知っている人ってどのぐらいいるんだろう?あんだけ焚きつけて騒いだのだから、本当に興味があれば最後のケツ位はちゃんと見届けて欲しいものだが、そうではないのだろう。今考えれば「ニュースの叩きブーム」の材料にすぎなかっと思う。

僕の大好きな作家で星新一という方がいるが、その人の短編エッセイに「鏡」という作品がある。

内容を簡単に説明すると
「夫婦は、ある日、合わせ鏡をしその中を歩いてくる悪魔を捕まえる。
とても小さな弱々しい悪魔でそのまま手のひらサイズの悪魔を愛玩用に飼育しようとするが……。
やがて、夫婦はともに日頃のストレスを悪魔にぶつけ始める。
針を刺す、殴る、アイスピックを突き刺す。その度に、夫婦はストレスを解消しほっとしていた。
次の日になると悪魔の傷は癒え、全く元の状態に戻っている。
その度に、夫婦は悪魔を痛めつけ、虐待はエスカレートしていく。来る日も来る日も。
そうして得られた精神の均衡は夫婦にひと時の安息を与えた。
ところが、妻の不注意で悪魔を逃がしてしまう。
夫は妻を責める。妻は苛立ちを募らせる。
ストレスの解消先を失った夫婦はこれまで通りの要領で怒りをぶつけ合う……筈だった。
だが、これまで悪魔に対して行った虐待は彼らから自制心を奪い去っていた。
彼らは悪魔に対して行ったように、各々鈍器やアイスピックを手にすると互いに振りかぶり―――」

ここに出てくる悪魔は現在で言うところの「非難対象者」である。悪魔は世間一般的に「悪」なのでいくら叩こうが叩いた側が非難されることではない。この非難されることはないという安全を担保された立場にいるという安心感に皆が群がっているように思う。もし、この「悪魔」がいなくなれば、世間はどこに弱者を見つけるのか?

正義だ悪だを論じる前に、日本人の本来もっている思い遣りを取り戻して欲しい。